彼女と初めて出会ったのは、PCMAX（18禁）の大人向けの掲示板でした。
一見すると普通のマッチング系のサイトでしたが、いわゆる趣味嗜好の近い人たちが集まる場所で、僕も興味本位で登録していた時期でした。
彼女のプロフィールには、簡潔に「落ち着いた関係を求めています」とだけ書かれており、年齢は44歳、仕事は事務職とありました。
特別目立つ言葉があるわけではなかったのですが、やりとりが始まるとすぐに、文章の端々から理知的で、そしてどこか“迷い”のある空気を感じ取りました。
最初のメッセージからも、どこか張り詰めたような丁寧さがあり、「この人は、何かを抱えているのかもしれない」と思いました。
そしてその“何か”が、僕の好奇心を刺激したのです。
何度かやりとりを重ねたあと、彼女の方から「お時間が合えば一度お会いしませんか？」という提案がありました。
正直なところ、半信半疑でした。
彼女の文章は整っていてとても落ち着いており、プロフィール写真も控えめ。
いわゆる“ドM”という言葉から連想されるような大胆さとは程遠く感じたからです。
待ち合わせ当日、彼女は先にカフェに到着していました。
きれいにまとめられた髪、控えめなメイク、やわらかなベージュのワンピース姿。
その姿は、想像していた以上に“女性らしく”、そして整っていました。
彼女は静かに「はじめまして」と挨拶をして、椅子に座ると、両手を膝の上に丁寧に揃えました。
少しぎこちなく会話が始まりましたが、彼女は一つひとつの言葉を慎重に選ぶ人でした。
話す内容は、仕事のこと、趣味のこと、最近読んだ本のことなど。
ただ、全体的に「自分のことを語るのが得意ではない」印象を受けました。
どんな話題にも器用に合わせてくれるのですが、自分のことを話すときだけ、ふっと言葉を濁す。
そこに、長年“誰かに合わせて生きてきた人”の空気を感じました。
2回目に会ったとき、少しだけ踏み込んだ話題にしてみようと、「普段、誰かに甘えることってありますか？」と聞いてみました。
彼女は少し目を伏せてから、「……多分、苦手ですね」と答えました。
続けて、「でも本当は、ちゃんと甘えてみたいとも思ってるんです」と。
その一言を聞いたとき、僕の中で何かが静かに動きました。
彼女は、“誰かに委ねたい”という感情を抱えていたのです。
ただ、それをどこに預けたらいいのか、分からなかったのだと思います。
次に会ったとき、僕は少しだけ態度を変えてみました。
いつもよりも少し強めの口調で、「今日は僕に任せてみませんか？」と伝えてみたのです。
彼女は一瞬驚いたような顔をしましたが、すぐに小さく頷きました。
そのときの表情には、警戒ではなく、少しだけ安心のようなものが浮かんでいました。
それ以降、関係はゆっくりと変化していきました。
彼女はこちらの指示や提案に対して、はっきり「イヤ」と言うことはありませんでした。
けれど、何も感じていないわけではなく、むしろ“受け取っている”感覚が強く伝わってきました。
「従う」という行為は、時にネガティブに捉えられがちです。
でも彼女にとっては、それが“信頼”の形だったのだと感じます。
言葉にせずとも、「私は今、あなたに任せています」という意思を込めて、目を閉じ、身を委ねてくる彼女の姿には、どこか神聖なものすらありました。
関係が深まったある日、彼女がこんなことを言いました。
「強く言われるのって、安心するんです。不思議ですね。」
その言葉を聞いて、僕もようやく気づきました。
これは嗜好ではあるけれど、それ以前に“安心のかたち”なのだと。
今、彼女とは自然な形で疎遠になっています。
でも、彼女が最後に言ってくれた「自分の素を、受け入れてもらえるって幸せですね」という言葉は、僕の記憶に深く残っています。
SMという言葉では語りきれない、もっと繊細な信頼のかたちが、そこには確かに存在していたのです。
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